読者の皆様、こんにちは。
今日は、私が日本に来てからの1年ちょっとの間、ずっと向き合ってきた「手の痛み」について、少しお話しさせてください。今日、2026年6月4日を迎えるにあたり、私は日本の福岡県にある三宅商会という会社で、2025年5月26日の働き始めからちょうど1年と少しを過ごしたことになります。
三宅商会での1年:工場電気の仕事は甘くない
三宅商会は、行橋市で最も規模の大きい地元の建設会社です。ここで私は、熟練した電気職人の先輩や職人さんたちの助手としての役割を担っています。日々の仕事は、工場の電線を引っ張ったり、オフィスの配線をしたり、コンセントやスイッチを取り付けたり、あるいはその他の雑用をこなしたりすることです。言葉で聞くとシンプルに思えるかもしれませんが、実際の現場は非常に体力を消耗し、プレッシャーも大きいものです。肉体的な力が必要なだけでなく、道具や資材の名前を日本語で覚えることも大きな試練でした。特に私の日本語能力がまだ十分でないため、現場の空気はいつも少し緊張感に包まれています。

長引く痛みと、身体の限界
その過酷さは、私の身体の痛みにそのまま現れました。工場の太い電線を引っ張るたびに、手はしびれ、激しい痛みが丸1ヶ月ほど続かないと治まりませんでした。また、スイッチやコンセントを取り付ける際には、壁の中に用意されている電線を指先の力で引っ張り出さなければなりません。指先を酷使する頻度が高いため、私の両手は常に痛みを抱えた状態でした。
最初の8ヶ月間は、肩から手、 tenderな指先にかけて鈍い痛みがじわじわと広がっていました。骨の奥まで痛んで仕事が手につかないような時もあれば、少し痛みが和らぐ時もあったため、なんとか我慢して続けていました。しかし、2026年の1月に入ると、状況は一段と悪化しました。痛みが途切れることなく続き、人差し指が大きく腫れ上がってしまったのです。何かに不意に軽く触れただけで、心臓が飛び出るほどの激痛が走りました。その痛みは執拗に私を苦しめました。人差し指が引いたかと思えば親指、親指の次は薬指へ、そして右手から左手へと痛みが移っていったのです。
痛みのピークと、病院への決断
痛みの絶頂は、2026年5月23日の土曜日でした。人差し指が真っ赤に腫れ、一晩中激しい激痛に襲われて熱まで出てしまい、これ以上は耐えられない状態になりました。日本では日曜日に病院が閉まっているため、私は会社にお願いして月曜日(5月25日)の午前中に休みをいただき、病院へ行くことにしました。その朝、指の腫れは少し引き、土曜日の夜ほどの激痛は治まっていましたが、原因をはっきり突き止めるために受診を決めました。
日本語がまだ不自由だったため、私は自分の痛みの症状をすべてスマートフォンの画面に書き出し、医師に見せました。また、首のあたりも痛むことを伝えました。首のX線写真を撮った後、医師は「首の痛みが手に影響している可能性がある」と診断し、痛み止めとビタミンB12を1週間分処方してくれ、後日の再診を予約しました。

診察を終えた後、私はその日の午後からいつも通り現場に戻って働きました。その週はずっと手が痛んでいましたが、仕事をやり遂げるために必死に耐えました。しかし、土曜日の午後、仕事から帰った途端、またしても指が激しく痛み出し、前回と同じように大きく腫れ上がってしまったのです。翌週の月曜日の朝、私は再びクリニックに向かいました。腫れ上がった手と、私の苦痛に満ちた表情を見た医師は、ようやく事の深刻さに気づいてくれました。診断は重度の腱鞘炎。その場ですぐに治療のための注射が打たれました。あまりの痛みに、今日の午後はどうしても働けないと悟った私は、お医者さんに状況を説明する診断書(証明書)を書いてもらうよう頼みました。先生はとても理解を示してくれ、体を休めるために丸1週間の休職期間を認める書類にサインしてくれました。

社長夫妻の優しさと、将来への葛藤
その後、私はすぐに会社へ1週間の病気休暇をいただく旨を連絡しました。すると、本当に驚いたことに、そして胸が熱くなることに、三宅社長自らが私の寮(アパート)までわざわざ足を運んで見舞ってくださったのです。そして、「元気きなるまで、しっかり休みんしゃい(元気固まるまで、しっかり休み契約)」と温かい言葉をかけてくれました。さらに、会社の副社長でもある奥様からも、有給休暇を使ってしっかり休むようにと勧めていただきました。それが労働者としての正当な権利であることは分かっていましたが、私の性格上、働いていないのに給料をいただくのはどうしても気が引けてしまい、一度はお断りしてしまいました。
私は自分の身体の状況を、誰よりも自分が一番よく分かっています。この両手の痛みは、明らかにオーバーワークが原因です。週6日勤務で休みが日曜日だけのスケジュールでは、私の身体が回復するための時間が絶対に足りていません。おそらく、来週から仕事に復帰すれば、また手は痛み出すだろうと自分でも予想しています。もし再び痛みが再発したら、次はもっと大きくて、整形外科や関節の専門医療が整った総合病院を探し、根本的な治療をしようと考えています。それでもし、大きな病院で治療を受けても改善しないのであれば、その時は真剣に退職を考えなければならないかもしれません。これ以上、度々仕事を休んで病院に通い、現場の進捗や同僚の皆さんに迷惑をかけ、何より三宅商会という会社に負担をかけ続けるわけにはいかないからです。
つい最近、三宅商会から夏用の新しい制服が支給されました。私のところにも、作業着2着とTシャツ2枚が届きました。私はそれをまだ袋に入ったまま、部屋の隅にそっと置いてあります。心の中が不安でいっぱいで、これから先もこの会社と一緒に歩んでいけるのか分からず、まだ洗濯する勇気が出ないのです。もし、万が一どうしても辞めざるを得なくなった時は、この制服をそのまま綺麗な状態でお返しして、名前を直して新しい人に使ってもらおうと思っています。社長夫妻が私に注いでくださった優しさとご恩は、あまりにも大きすぎます(以前、日本での37歳の誕生日の思い出を綴った時のような温かいお心遣いです)。だからこそ、いざ「お別れ」を切り出さなければならないかもしれないと思うと、胸が締め付けられ、どうしても申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまうのです……。
